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ライヴレポート1:リミッティ
presented by NN


 「ライの母シェイハ・リミッティ来日記念!!」
 もうマグレブ音楽ファンの方はご存知でしょうが、7月10日にアルジェリアからライの母と称されるシェイハ・リミッティが初来日します。81歳にして、現在ライの第一線で活躍している脂ののった歌手に比べてもひけめのない美声とリズム感の持ち主。

1923年にオラン地方に生まれたリミッティは、若い頃から孤児であり、一切の教育を受けていないために文盲であります。にもかかわらず、驚異の創造力。べトウィン民謡が都市音楽と融合した最も伝統的なライのスタイル(ガスバ(笛)とタール(小太鼓)とベンディールのみの伴奏)でありながら、当時のアルジェリアでは考えられないほどのあまりに性的ラディカルな歌詞を女性の立場で歌い続けてきました。
植民地主義、解放戦争が引き起こした悲惨な現実を見てきた彼女は、愛と性の持つ根本的価値を信じ、本能のままに歌うことを糧にしてきたのです。彼女の現在までの活動はフェミニズム運動と呼ぶに相応しいです。
詳しいリミッティ情報はこちらで↓
http://web.kanazawa-u.ac.jp/%7Ekasuya/Rimitti.html

伝統スタイルと言って、古典音楽的イメージを膨らませたら大間違い。
2000年にモハメド・マグニがプロデュースしたアルバム『Nouar(花)』はリミッティへの既成概念をまんまと打ち砕き、見事にモダンスタイルを成し遂げた驚異のアルバムとなったのです。アルジェリア人的貧欲のもとで色々なものを吸収し、進化し続けているライを歌い続けるには伝統スタイルに拘泥することもないが、81歳になってもライ・シーンの先導的役目を果たしているとは、すごい。変化を見せるライは一見解放的でありながら、実はアルジェリア人的モノローグな面を併せ持っていて、そんな相反した部分が魅了する要因にもなっています。変則的で不安定さに富んだ即興性は、彼らが経験してきた文化、社会的経験の体現と言ってもいいでしょう。

さて、この来日を記念して、昨年の3月にパリ郊外で見たリミッティのライブを緊急リポートさせていただきます。昨年マリ共和国に行く際にパリに寄ったのですが、その滞在で運よくもリミッティのライブに遭遇できたのです。歳からすれば当然なのでしょうが、フランスでも現在は頻繁にライブ活動をしている様子もなかったところなので、ラッキー極まりなしです。

ライブ会場となったTheatre au feu de l'eauはメトロ5番線でEglise de Pantin駅の近く。
初めて降りた駅でしたが、この周辺もアフリカンやマグレブ系の人たちが多く住む地域のよう。ライブ会場と言うには相応しくない外観でしたが(工場のよう)、ある程度手前の道から壁に貼り付けられていたポスターが、ライブ会場まで導いてくれました。
マグレブ人以上にのろい到着で、着いた時にはすでに座席はなく、固い階段に座ることになりました。
メインのリミッティの前座として、軽く会場を盛り上げるグナワのパフォーマンスがあり、後半はライ興隆期に活躍していたブーテイバ・スギールというおっさん歌手の3本立て。

リミッティは付き人に手を引かれながら一見弱々しくステージに姿を現し、用意されていたイスに座りながら演奏を始めました。
黒いサングラスをかけ、大抵の人は着こなせない金色のガンドゥーラ(民族衣装)を纏った見るからにすごい貫禄はウンム・クルスームをすぐにイメージさせました。(リミッティが亡くなった際に、アルジェリアは国葬などやるはずはないが…)
しかし、この人こそアルジェリアの人間国宝と言っても過言ではない。伴奏はお馴染みのガスバ、タール、ダルブーカとリミッティ自身もベンディールを叩いてみせる。絡みつくガスバの装飾的なフレーズとリミッティの逞しく太い声、ベンディールの突くような鼓動がアクの強さを際立たせ、アンダーグランドな世界へずりずりと引きずり込む。そう、これこれ、待ってました。

リミッティと楽師達以外にステージにはプロの美人ベリー・ダンサーの一人が官能的な踊りでエキゾなオーラを醸しだす。客席からのザガーリードは止まないし、客席に座っていた人達はたちまちステージ前のスペースでダンスを開始。
アラブ系の腰を振るわせるダンス、カビリー系のお尻や肩を振るわせるダンス、両手を横に伸ばし腰を振るライ風ダンスなどなど、ダンスのコラボレーション。従来のライブやコンサートの雰囲気とはだいぶ違った光景で、ディスコやダンス・ホールの延長でしかないのもマグレブ流。
歌い手を気にすることもなく、みんなが好き勝手に踊り狂っているのだから、マナーなんかあったもんじゃない。(それに加え喧嘩も始まったりすることもある)いつもだったら私も仲間入りしているところが、今回はリミッティをじっくり観察するべし。
今回のステージでは終始伝統スタイルで通したリミッティは、後半スタンディングし、ピョンピョンと跳ね出したのです。そう、これがかの有名なリミッティ流ステップ。まだまだ健在でした。

圧倒されっぱなしのリミッティのパフォーマンスが終わり、ステージには次なるライ歌手のためのバンド・セッティングがされ始める。電子楽器を一切用いなかったリミッティとは対照的に、シンセサイザー、ドラムセット、エレキ・ギターなどを用いたいわゆるモダン・スタイルで後半は展開されるよう。そして、ブーテイバ・スギールの登場となった。

見た目はめちゃインド人っぽい。(インド好きのシェブ・ヒンディには申し訳ないが…)華奢な体で白髪の混じったグレーの髪に、口ひげを生やし、何故かネクタイを締めて背広。見るからに胡散臭い。
しかし、ライの変遷を綴る文献にはもちろん登場してくるし、ハレドやシェブ・ハミドの前世代で最も活躍した一人でもあり、ポップ・ライの父とも呼ばれるトランペット奏者のベルムーと同期になる。
これまでブーテイバの音をほとんど聴いたことがなかったので、どんな音を出すのだろうと興味津々。が、営業向けっぽい曲の途中にジョークを飛ばすMCが入るあたりが気に食わない。低い声はいかにも「イスタフビラ(ライの導入部)」が得意そうではあったけれど、かと言ってハレドのようにいくつもの声を持ち合わせているわけでもないので、歌詞が理解できないとなると、ますます聞き手を退屈させる一方。
リミッティの後に見たから無理もないか…。

ブーテイバのステージも1時間以上あったみたいだけれど、階段に座っていた為にそうとうお尻が痛くなり、ラストを見るまでもなく会場を後にしました。一緒にいた友人は「リミッティはトラディショナルで見る価値はあったけど、後半はごめん、好きになれない!」とあっさり。ま、順当な意見かもしれないけれど、ライの多面性を知ってもらえる、おもしろいステージではあったのではないかな。
そして自らライをアルジェリアを愛するからには、ライに対しては常にトレランスな気持ちでなければ、と言い聞かせ、ひとまずは納得。

こんな貴重なライブを見みれた時は「これで最初で最後の生リミッティ」だとばかり思い込んでいたけれど、翌年、しかも日本で見れることになるとは!女王リミッティがこれで終わるわけもなく、そう勝手に思い込んでいた私も馬鹿だったのでしょうが、まさか日本で…。
今回リミッティを招聘していただくアリオン音楽財団様、ありがとうございます。
偶然にもシェブ・ハスニの十回忌でもありますし、リミッティの来日が、アルジェリアと日本の架け橋になることを願うに尽きます。
インシャアッラーー!
NN



 
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