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アルジェリアンラップ

presented by NN


フランスにおいての社会問題をフランス語、祖国語を織り交ぜながら隠語や逆さ言葉で操り、履き捨てるフレンチ・ラップが大統領への脅し、政治を批判、警察への警句などで逮捕者も出るほどの過激さは米国ラップに引けを取らないほど。いや、むしろより複雑かもしれません。

70年代後半に米国のブラック・ストリート・カルチャーから生まれたラップは主に北アフリカの移民2世代の若者にとっても共感を得るもので、彼らのアイデンティティの具現でもあったのです。ミッテラン政権時代に次々に建設されたパリ郊外のシテ(低所得者層を対象に建設された公営団地)もバブル崩壊後は人種差別の餌食になり、揉め事が起きるたびに警察は出動。警察との抗争も絶えず続き、一気にゲットー化の一途をたどるのみでした。

このような社会背景と共に力をつけてきたのは紛れもなく若者のはけ口であり、イニシアチブな存在であったラップで、同じく様々な人種がフュージョンしているアフリカからの玄関口マルセイユもストリート・ミュージックの中継地になりました。サウンド面においても西海岸やNYの代表的な二つのスタイルとほとんど遜色がないことにも驚かされます。

若者のはけぐちになったあたりはアルジェリアのポップ・ミュージックであるライと大変共通点があります。主にライはセックスにまつわる淋しさ、アルコールや女性を直接的でどぎつい言葉で歌っているものですが、その背景には植民地主義、解放戦争が引き起こした現実があるのです。

ライとラップは都市の若者にとって、真実や正義を求める最もリアリティのあるジャンルなのです。多くのマグレブ系ラッパーは自らのルーツをライに見出すわけで、ライがサンプリングされることもしばしば。ご存知の通り、ライとラップの愛唱は絶妙なもので、KhaledやCheb Mamiの大ヒットがそれを証明しました。フランスで活躍するラッパーに影響されてか、故国アルジェリアでもここ数年の間に100以上のラップグループが誕生しています。アルジェリアでは他のマグレブ諸国にはない政治への発言の自由があり(これがモロッコやチュニジアにはないアルジェリアという国の大きな特殊性です)恐らくそれがこれだけのラップグループを発生させたのでしょう。(と言う訳で、モロッコ国内ではそこまでラップはメジャーではありません)



INTIK(アンティク)

首都アルジェから誕生した2人組(活動開始から10年後にやっと1stアルバムをリリースしています)。もちろん歌詞はアラビア語(アルジェ方言)。INTIKはアルジェロワ(アルジェの人)独特の表現でフランス語のbienにあたる言葉。例えばサ・ヴァ?に対し、サ・ヴァ、アンティクと応えたり。(首都アルジェの方言は他の街よりダントツにフランス語がアラビア語にミックスされた表現が多い)生粋アルジェリアのラップは堕落した数々の紛争、そしてテロリストになっていく仲間、治安の悪さから夜間外出禁止令など出されるまでもなく通りから人影が消えたアルジェを深い悲しみの底から語るのです。

パリ郊外の若者とはまた違う苦しみや悲しみの姿がはっきりと映し出されています。2000年1月にリリースされたフランスで初のアルバム『 INTIK 』はシャアビやレゲエを取り入れ、音作りも言うことなし。
数々のライ歌手達との共演を繰り返し、マグレブのミュージック・シーンを支えてきたヴァイオリニストのジャメル・ベニエレス(ジェーン・バーキンの『 Arabesque 』のプロデュースで一躍注目を浴びた)もこのアルバムに参加しています。


MBS

98年に首都アルジェから登場したMBSもアルジェリアのミュージック・シーンに衝撃を与えたグループ。メンバーは男性3人+女性1人と珍しいグループ。93年当時まだ高校生だった少年3人はアメリカのラップやフランスで活躍するMcSolaarの曲を自分達用にアレンジして歌っていたようです。アルバム『 Ouled el Bahdja 』(97年)がアルジェリアで毎月6万枚売れるという大ヒット。その後アルバム『 Aouma 』、『 le micro brise le silence 』を続々とリリース。Universal(Island)と契約した初のアルジェリアのラップ・グループです。

MBSとは Micro qui brise le silence(マイクロフォンが沈黙を破る)の略で、その名の通りアラビア語の発音、抑揚を生かし、エッジのきつい西海岸スタイル(スタイルは全く113にそっくり、実際113のメンバーも録音に参加)。アルジェリア文学にも頻繁に出てくるexil(亡命)、Chomage(失業), ghorba(望郷の念)などの言葉のリフレインは故郷喪失した若者のメランコリックな情感としか言いようがありません。ノスタルジー溢れるラップはやはりアルジェリアン・ラップの特徴と言ってもいいでしょう。


Double Kanon

1996年東部地中海沿岸のアナバ出身のグループ。今最も地元で人気の高いグループです。Double Kanon(ドゥブル・カノン)とはどうもドラッグ入りシガレット名らしいです。
1997年に地元アナバのレーベルからリリースした1stアルバム『 kamikaze 』は20万枚の大ヒット。このアルバムでは従来のラップにはタブーとされていたテキストが使われているのです。どうも現在の都会女性のふしだらさにも不満もぶつけるようになっています。お金とセックスにしか興味がないノなどと。(いやいや、本当にリアリティありますね)

かつて性欲を表明するライが家庭内で聴けなかったかのように、両親がいるところでは絶対に聴くことができないテキストばかり。実際にライやラップは若者すべてに共通した不満の代弁であるはずが、このような歌詞は女性への侮辱になると好まない男性も多数いたみたいです。
そんなことから現在は少し歌詞の内容を変えつつあるとか。メンバーのLoftiはアナバの大学で地質学を専攻していたというかなりの知識人。Soloアルバム『Virus』をリリースし、こちらも大好調です。


Les Passagers

2003年にパリの世界アラブ研究所のライブラリーで購入したのアルバム『 Lah raleb 』。INTIKやMBSに次いでアルジェの若者を代表した3人組。エジプト歌謡風のシャアビ、オリエンタル、ライなどを織り交ぜながらうまい具合に若者のフラストレーションを表現しています。

パリに旅立って(exil)しまった恋人は白人(フランス人)と結婚してしまう切なさや、愛のすばらしさややるせない想いをライのように表現したり、裏腹に現実があり…。などど切実なことを歌いながらも、お遊び半分&おふざけのように聴かせてしまう。これはこれで地元風味がよく味わえる作品です。INTIKやMBSとは全く違った土臭さが売りなのかも。


SALIM(こちらはモロカン・ラップ)

ここ数年のアルジェリアン・ラップ・ムーブメントが隣国モロッコに伝わりつつも、モロッコ内で活躍するラッパーは少数派です。その理由として前にも書いたようにモロッコでミュージシャンが政治的発言をするのは非常に困難で、ラッパーは必然的に出現しないのです。が、初めてモロッコに行った時に、おもしろ半分「モロッコのラップを聞きたい!」とテープ屋の兄ちゃんに言ったところ登場したのがSALIMという名のモロカン・ラッパーのカセット。

ジャケには「RAP marocain」と。(わざわざ書かなくても正真正銘のモロッコ人でしょ)アーミー風帽子をすっぽりかぶり、いかにもラッパー気取りだったのですが、歌詞はアラビア語(モロカン・ダリジャ)。音的にはめちゃメロウでださい。最近またこのカセットを数年ぶりに聴き始めているのですが、そんなに悪くないです。(笑)ちょっと飽きは早いけれど、アルジェリア人だったらこんな音を出さないだろうと…とモロッコ人センスをプンプン臭わせてます。

 
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