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ハンドルネーム:yama-san
本名:和田麻弥
1974年生まれ。双子座。
東京造形大学デザイン学部 視覚デザイン伝達学科卒業
そもそもはエディトリアルデザイナーでしたが、現在は日本語、フランス語、英語、アラビア語の4カ国語を駆使しながら、パートナーの経営する南部モロッコを拠点とした旅行代理店 Ksour Voyages(クスール・ヴォヤージュ)にスタッフとして勤務中。
デザイン、というのは、ジャンルや媒体を問わず、相手のニーズを、それぞれのケースにおいて理想的な形にアレンジして提示するものである、というのが活動のモットー。
自分の持ちうる知識や人脈、経験の全てをフル活用して、お客様の笑顔を結果として引き出す事を仕事にしています。→仕事内容・依頼はこちら
ハンドルネームの秘密
yama-san。これは古いタンザニア人の友人が、私をこう呼んだことからつけました。ホントはmayaなんですけど、こいつ、私のことを「山のさかさま」って覚えてるな?といわんばかりに何度直してもyama。けれどもなんだか富士山、阿蘇山、ヤマ山、みたいでかわいかったので、ちょっと気にいっています。
「太陽にほえろ」ではありません(笑)
モロッコとの出会い
さて、このサイトの管理人yama-sanとモロッコの出会いは95年。
そもそもはアルジェリアに行く予定が、政治状況からどうしても無理だったので、おとなりの国のガイドブックでも読んでがまんするか、と思ったところ、ガイドブックを読んでいるうちに、これはこれでおもしろそうかもな、と思ったのがきっかけです。
ではそもそもなぜアルジェリアを目指したのかといえば、どうしても砂漠の民、トゥアレグ族に会いたいと思ったからでした。
ある本の中に見つけた小さな一枚の写真。
らくだの背にまたがる大勢にまじってひとり、男達と同じような服を着て、長い三つ編みを後ろに流した美しいトゥアレグの女性のりんとした横顔。
なんて美しいんだろう!
瞬間、砂漠に呼ばれたと思ったのです。
砂漠という何もないところで、彼等は一体何を喜びに生きているんだろうか。
何を幸福だと思っているだろうか。
だれにも訪れる瞬間なのかもしれませんが、物質的豊かさにひたりきった生活の中で、「自分は幸せだ」とい言い切ることができないでいることを、その時、ものすごく疑問に感じたからでした。
yama-sanのモロッコ観
さて、そんなふうに、なんとなくピュアでやさしく、感動的なものを求めて旅立ってみたわけですが、モロッコはそんな「甘ちゃん」をやさしくくるんでくれるような国ではありませんでした(笑)
正直なところ、私の出会ったモロッコは、ズルイ、ウマイ、逞しい、そんな言葉に、たたきのめされるような国でした。
自分の心配りとか気づかいなんていうものは、相手の都合のいいように利用され、ときおり見せてくれた優しさは、そのあとでつきつけられるとんでもない要求のイントロであったり。
信じては裏切られ、疑って相手を傷つけたかと思えばしたたかなカウンターパンチをくらう。
正直そんな事のくりかえしがひたすら続き、それは結婚し、そんなことにもそろそろ慣れてきたかな?と思う今でさえ、姿をかえ、形をかえ、生活に忍び寄ってくる恐怖です(笑)
私がこれまでに出会い、今も交流を続けるモロッコ人達というのは、正直、いわゆるいいやつばかりではありません。ツーリストとして旅していたころは、そのしたたかさに激怒したくなったことも何度あることか。
けれども、そんなモロッコ人の一人一人が、
自分が生きなければいけないこと
自分の欲
自分がつらいこと
自分がうれしいこと
そして、
自分がしたいこと
してあげたいこと
そんな日々の欲望や感情に、とても正直だったと思うのです。
失敗も成功も悪巧みも、しかたないさと受け入れて突き進む彼等の前で、強いつもりになっていたお飾りだらけの自分の姿が、なんともはかなく映ったものです。
カッコイイ女になりたくて、夢の人生を生きたくて、背伸びしてカッコつけてイイ人ぶっていたけれど、そんな生き方にいつのまにか自分自身がくたびれてたら、それってもっとカッコわるい事なんじゃないんだろうか。
悪いやつでもいいじゃない?
いつでも善人じゃなくてもいいんじゃない?
カッコ悪くていいんじゃない?
それでお日さまのような笑顔をたたえられるのだとしたら。
そうだ、もっと素直に生きてみよう。
彼等のアバウトな豪快さの前に、私はいつのまにか飾ることをやめにしていました。
こうでなければならない、こうしなくてはいけない、と、勝手な理想を抱いてそれに縛られていた自分を解き放ってくれたのは、実にこの、時に天使になり、時に悪魔に変身するなどという、アバウトきわまりない人々の豪快な笑顔だったかもしれません。
もしも、やさしくされることを求めて旅に出るとしたら、モロッコはそんなあなたを少しがっかりさせることもあるかもしれません。
けれども「純粋」であるということは、何も「真っ白」であることとは限らない。
時には黒く、時には白いのが人間の姿であるとするならば、モロッコという国は、そこに照りつける太陽の強さゆえか、ひたすらその陰影の強さがまぶしい国かもしれません。
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