旅の情報編04:モロッコ人とくらし
正しいハマムの入り方 ラマダンの1ヶ月


 
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イスラム、といえば目に浮かぶ女の人のスカーフ姿。
けれども、モロッコでは、これをつけたりつけなかったりすることに、何か罰がまっていたりすることはなく、あくまでも個人の自由に任されています。またお酒にしても、ラマダンの時期こそモロッコ人向け販売が禁止されますが、基本的にはモロッコ人であっても、ツーリストであっても、それを飲むか飲まないか、ということは個人の判断にまかされています。
モロッコは国教としてイスラムを選んでいますが、法律まで100%それに準拠している国ではないのです。

さて、そんなモロッコの正式名称、「モロッコ王国」からもわかるように、モロッコは日本と同じように、王様のいる国です。
王家としての歴史は、1659年からはじまる歴史のある王家でもあり、預言者ムハンマドの子孫であるということから、王室および国王は、国民の宗教的指導者としても尊敬をあつめています。1999年の夏に、先代のハッサン2世が亡くなったのも、記憶に新しい方もいるでしょう。

国王として激動の20世紀を半世紀にわたって指揮したハッサン2世が即位したのは、1961年。
モロッコ建国の父、ムハンマド5世(空港や、街の大通りの名前としてたくさん登場します)の崩御にともない即位され、第二次世界大戦の後の混乱、隣国との問題の数々、国内での難しい政治的かじ取りをこなされてきたのが、今でもあちこちでその肖像写真がかざられている、ハッサン2世なのです。

けれども、ハッサン2世が治めた20世紀という時代、モロッコという国を国民が平和に暮らせる国とするために、国民が多少の犠牲を払ってきたのも一方で事実でした。
反乱をおさえ、平和な生活を守るために、政治について国民が自由に集まり、自由に語るということができなかったのです。(現在も法律は改正されていないものと思われます)
そんなわけで、モロッコでは今でも王様についてや政治についての話は、たくさんの人の耳があるところではほとんどなされません。

それがたとえ気心の知れた友達であっても、そういった会話にはものすごく注意を払う人もいるくらい、モロッコに暮らす人々にとってはデリケートな問題。
そして言論が不自由であるという事は、先進各国にとってはなんとも都合のいい攻撃材料であり、私達にとってもつい「それはなんともいけないことだ」と、単純に思ってしまうモロッコの問題点の一つでもあるでしょう。

けれども実際くらしている国民は、そんなかっこいいことばかり言えるものではありません。あるモロッコ人は、ステレオタイプの代表のような私の「自由になったらいいのにね」という言葉に意外な答えをくれました。

── 政治の話ができるとかできないといった事を欧米は何ものにも代え難いものであるかのように言うが、そんな話ができたところでどうなるだろう。
難しい話はきちんと教育を受けた者でないと理解できない。自由にはそれに伴う責任があることも教わっていない。
まともな教育を受けていない国民の大半は、そんなところに言論の自由が現れて、目先の利益ばかりちらつかせて数だけ稼ごうとする煽動家にでも感化されたら、すぐに彼等の思い通りになってしまうだろう。

もしもそのせいで国が混乱に陥り、安心して子供が家に帰って来るのも待っていられなくなってしまったら、その「手に入れた」と言われる自由に一体どれだけの意味があるだろう。
政治的な話を集まってしないとか、王室の批判をしないといった我慢でもないような我慢をすることで、原理主義の支配やテロの恐怖からこの自由と平和が守られるなら、おれは今のままでかまわない ──

統制を受けつつも、守られる平和と秩序。
血をながし、混乱の果てにつかみとる自由。
今の自分とその家族には、はたしてそのどちらが大切なのか。

今この時代、言論の自由が認められていない事を良い事だと肯定する人はほとんどいませんが、そんなモロッコ人のセリフに、いい事といわれる事、悪い事といわれる事を、その背景も考えてみないうちから決めつけてしまう考え方を見直させられます。
世界中、どの国も大きな問題をかかえ、何もかもが大きく動いた20世紀の歴史。 20世紀のモロッコも、良くも悪くもいろいろなできごとをかかえた100年だったのです。
 
  期待の新国王・モハンマド6世陛下
そして1999年。
中東各国で次々と指導者が新しくなり、モロッコでも新しい王様、ムハンマド6世の時代になりました。
まだまだ即位されて間もない王様ですから、評価もこれから決まっていくところ。

1996年くらいの欧米のデータでは、「父親ほどのカリスマ性がなく、権力もあまり掌握していない」などど書いたものもありましたがなんのその!この新しい王様、モハンマド6世は、国民の評価がとても高い王様なのです。
即位のころの新聞などでも、若い王様ながら、その人物についての評価はかなり高いものでした。
これでモロッコもまた新しい方向に向かっていくんだろう。
新聞各紙の記事を読みながら、外国人の私でさえ、とてもたのもしく思えたくらいです。

なによりも驚きだったのが、そのムハンマド6世陛下の即位後、王様の話などトラブルを避けるために決してすすんでしたがらなかったモロッコ人たちから、たくさんの王様自慢を聞いたことです。
「今度の王様は、王子様だったころから、毎月貧しい人々を宮殿に招待して、お食事をふるまって下さっているんだ」「王様は、公共の乗り物も使ったりなさるんだよ!」などなど。
王様を語るモロッコ人の声があんなに弾んで、しかも満面の笑顔で誇りに満ちているとは!
そういった行為の数々が、仮に意図的になされたものなのであるとしても、なんと人の心を上手につかむ王様であることか。

その他にも、小さな村を単独で訪れて視察なさったり、一人で車を運転して街へおでかけになったり、なんと王宮の一つを博物館として公開したいという案を提案されたりと、聞こえてくる話は、とても素敵な王様なんだね!とうらやましく思えるほどの話しばかり。
モロッコとの政治的トラブルを抱えるグループのリーダーさえ、新国王の前でひざをついて挨拶するなど、その人柄が、モロッコのトラブルの数々を解決せんばかりの勢いです。

王様が街にやってくるといっては、 王様に手をふるんだと6時間も待っていた友達も。管理人だって、4時間も待ってしまったくらいです(笑)
町中で売られている新しい王様の写真等も、かざらなきゃいけない…という義務感ではなく、欲しいからと買って行くモロッコ人が増えているのだということです。

長らく国民とは別格の巨大な権威として存在していたモロッコの王様。
その権威が変わる事はありませんが、国民の心のすぐとなりに鮮烈に登場した新しい王様のおかげなのか、モロッコの国民にも、どうせなにも変わらないさ、という気力のなさ以外にも、なんとなく明日へ向けた希望のようなものが感じられる今日このごろ。
まだまだ多くの問題を抱えたモロッコではありますが、新しい指導者の元でどう変わっていくのか。
国民は今、大きな期待にふくらんでいます。
 
正しいハマムの入り方 ラマダンの1ヶ月

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