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まずベルベル、という名前はエスキモーやブッシュマンのように、自民族の名前としてベルベル人自身が口にしていた名前ではありません。
ベルベルというのはギリシャ語で野蛮人を意味するバルバルスという言葉からきたもので、7世紀にモロッコにやってきたアラブ人や古代ローマ人によって呼ばれはじめた名前なのだということです。
ではベルベル人は自分達の事をなんと呼ぶかというと、ベルベル語で自由な人、イマズィールと呼んでいます。
ラクダにのってサハラやアトラスの山々を自由に移動して暮らして来た民族らしい名前に、彼等のほこりが感じられます。
そしてベルベル人は、面白いことに、学問的にその出自が実はまだはっきりしていないと言われる人種です。
赤毛、金髪の人がいたり、ブルーやグリーンの目の人がいたり…。
一般的には近東の方にいたアラブ人がモロッコにやってきて、地元の人間とまざりあうことで生まれたということになっているようですが、ヨーロッパがもともと起源であるという説があったり、はたまた別の所であったり、その人種的な出自は、未だにはっきりと断定できていないのだそうです。
モロッコでのアラブ人系とベルベル系の外見的な違いについて、それを「ほとんどない」と説明する人もいますが、これもそうとはいいきれません。
アラブ人がイスラムの教えとともにモロッコにやってきたのは7世紀。そんな昔の事ですから、みんなけっこう混ざりあっているはずで、実際の所、ここが両者のはっきりとした違いである、と説明するのは難しく、ほとんどの場合外見上の違いはありません。
けれども今も山岳部で暮らす人々や、田舎でひっそりとくらしてきた家族などの中にはやはり、明らかにこれはアラブではないなと思われる人々がいます。
外見的にはどことなくアジアっぽさがあり、人によっては韓国人にまちがわれるという人もいるし、またそれとも違って、どこかヨーロッパ人のような顔をした人たちもいます。
学者でなくても、このベルベルと言われる人たちはどこから来た民族なのだろうと、つい興味をひかれることでしょう。
個人的には、ベルベルの赤ちゃんのおしりに、蒙古斑があったということがなんといっても驚きです。
なんとなくアジア的な顔。おしりの蒙古斑。
もしや?と、ついいろいろ考えてしまうのはどうやら私だけではなく、第一次世界大戦の時代にモロッコに行ったという石川三四郎などは、彼の『放浪八年記』という本の中で、ベルベル民族の暮しや文化の中に自国日本との類似点を発見し、ベルベル人を、『血縁遠からずと思はるる...』民族と記しているというのです。
そう思って思い返してみれば、以前、週間ポスト(笑)の記事だとしてコピーされていた資料の中で、とある研究者という人ががこんなことを書いていたのを思い出します。
それは日本書紀とか、その類いのむかしのお話が綴られた本の中のおはなしの一つなのだ、と書かれていたように記憶していますが、おおすじ、こんな話しでした。
はるか昔、日本の神話の時代の頃、ある一人の皇子がいたそうです。
その皇子は、はるか西方の国であらそいが絶えないと聞き、軍をひきいてその西方の国の争いを治めにゆくことになりました。
皇子とその兵士たちの活躍で争いはみごとにおさまり、ついに国へと帰ることになったのですが、そこで皇子はその地が気に入ってしまい、平定後も、その国を見守るべく一人そこに残ることに決め、彼はそこで幸せにくらしました…
そんなあらすじだったと思うのですが、その記事の中でその研究者は、この話から、北アフリカのベルベル人は、実はそのときはるか西の国に遠征に行き、そこに残ったという日本人が起源なのではないかと展開していたのです。
現実的にありっこない話だよ、とは思いつつ、なんとなく想像力をかき立てられる話ではありませんか?
実際どうみてもアフリカ人ではなく、ヨーロッパでも、アラブでもなさそうな人に出会うと、まんざらでもないかもしれないと思えてきてしまうので不思議です。 |
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