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ここで負けてなるものか!
そんな気合いでどこに行っても値段交渉、がんばってしまうものですよね。
私たちは定価販売に慣れているので交渉はあまり得意ではないはずなのに、なぜかモロッコ人が相手となると10円を巡って戦いを仕掛けてしまう・・・。
そのうえ、モロッコ人の付けてくる値段は全部ぼりぼりで、終値がついて支払う段になってもまだ「終わった、ということはつまりぼられた、ということか」といつまでも不安がつきまとい、挙げ句の果てにAさんの終値と自分のそれとが10円ちがうというだけで、買い物の喜びはたちまち「やられた」という敗北感に取って代わってしまう・・・。
たとえば日本で、原価2、30円といわれる口紅を2000円とか3000円で買わされてもぼられたなんて思わないくせに、なんとも不思議な気がします。
この値段交渉、私も今でこそかなり粘りますが、初めて行った時の買い物リストをみるとそれは物凄い数字がならんでいるので実はとってもはずかしいのでした。
えらそうなことは言えたもんじゃありません。
ただそのように痛いめにあった過去を振り返って考えると、ツーリストプライス脱却への最短距離、それは実はぼられることだったのではないかと思うのです。
やられた!をくりかえしているうちに、やがてしみついてくる交渉のこつ。
このこつは一度身についてしまえば、基本的に世界中どこに行ってもそうそう変わるものでもありません。(私など今では日本でもバーゲン品でさえ値段交渉してしまうつわものになってしまいました(笑))
交渉のこつを私なりに表現してみれば、相手も商売だということを忘れないで値下げをたのむこと。
おまえがぼろうとしているから私は値下げを要求する!ビタ一文おまえにはぼらせないぞ!...という勢いではなくて、私もこれほしいけど、あなただって稼ぎたいでしょ?と、まあお互いにとって都合のいい値段に落ち着かせようと話し合い、「勉強」しあう思いやり?の過程が値段交渉かもしれません。
仮にぼられてしまっても、おやじのにやけた顔の後ろには、ちょっぴり豪華なディナーに喜ぶ家族や、ちいさなお土産を買ってきてくれたお父さんにはしゃぐ子供の姿の一つも想像してみれば、まあいいか!と思えてきてしまうもの。
旅人のみなさん、どうかそんなにいらいらしないで旅をして!
初めてはツーリスト価格、そしておまけ価格、そして地元の人間の価格へと昇格しつつ、だんだんとその街の暮らしに溶け込んでいくのを感じる。そこでまたその街のちがった姿が見えてくる。
時間がないからそれは無理、とは思わずに、そんな楽しみ方はダメですか?
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