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気になるモロッコ人に告白されました。
モロッコ人の彼とつきあっています。
モロッコ人の彼と結婚しようと思うのですが…。etc.
話せば長くなるながら。
まず基本的にモロッコの男性は、ひとまず現状を脱却するために外国人と結婚して外国行きビザを手に入れ、自分のイメージするような生活形態を実現するのに必要なお金を外国でさっさと稼いでしまいたいと思っている人が「非常に」多いです。
そして、自分の今の状況の中で上向こうと努力をするのではなく、手っ取り早く問題の外に解決方法を見出そうとするのがモロッコ流です。
ですので、おつきあい、結婚には、よほどのお金持ちで外国への行き来も不便ない人か、既に外国籍を持っている方でもない限り、ビザ目当て、お金目当ての可能性が大いに潜んでいる事を念頭においておきましょう。
(下心の全てが悪い訳ではないと個人的には思いますが)
また、モロッコ人との結婚を考えておられる方も、最終的にいつかはモロッコに帰ってきて生活することになるであろう、という事を覚悟しておいた方がいいでしょう。元気なうちは海外で働いても、いつか母国に戻りたいというのはモロッコ人に共通してある傾向です。
そして、その「いつかモロッコに帰ってきて生活する」あるいは「今すぐモロッコで生活する」にあたって何が大切になるのかといいますと、パートナーとなる男性の社会的な立場であったり、家庭内での立場であったりします。
なんのかんのでモロッコは男社会。
男性がしっかりしていないと、所詮外国人であるガイジン妻は、モロッコ社会に迎え入れてもらう事がとても難しくなります。よくわからない地域ごとのしきたりや、伝統的な「妻」としての立場。そういったものから外国人の妻を守ったり、またあるいは理解を助ける手助けをしてくれるのは自分のパートナーやその家族以外にありません。
その大切な要となるキーパーソンが、言うまでもなく自分のパートナーであり、その家族なのです。
その重要な鍵となる人物、またその家族は、はたして自分が暮らす事になるかもしれないその地域で、快く受け入れられているのだろうか?
これはモロッコ人同士の結婚でも、非常に重要視されます。
それが故に、モロッコではまだまだ「どこかにいい子いないかしら?」という、家族や親戚の紹介による、言ってみればお見合い結婚のようなものが多いわけです。
単純に言えば、素性の知れない者を家族の一員に迎え入れられない、評判の良くない者を家に抱え込んで家名を汚したくないと思っていると言ってみればいいでしょうか。
そのあたりは少し前までの日本と同じ「家」社会だと思っていていいでしょう。
自分が良家のお嬢様になったつもりで、はたして私は本当にこの家のヨメとしてやっていけるのかしら…?
そう問いかけてみると、もしかして一番状況を理解しやすいかもしれません。
社会に受け入れてもらうこと。
これは「お客様」の状態ではなかなかわかりませんが、そんなに簡単な事ではありません。
よほど裕福な家庭でもない限り、やはり女性の飲酒、喫煙等は印象が悪いので好まれません。外国人の場合、外国人だから仕方が無いとは思ってもらえますが、もちろん内心好んではいないでしょう。また、それを受け入れるのも、まあ経済的に外人がいる事の方が印象よりもひとまず大事なので目をつぶっておこう、と思われている程度です。
また、先進国では「個人の趣味」で許される服装の乱れ等も歓迎されていません。
やぶれたジーンズ、ダボダボの服やズボン、汚れたスニーカーなんていうのは恥ずかしいから止めてくれと思っている人が圧倒的でしょう。
見た目の服装が突飛である事や、他人の目に触れる「女性らしからぬ」習慣は、モロッコ人、あるいはモロッコ社会に好かれないものナンバーワンです。(特に地方)
「見た目で人を判断しないで」というポリシーはモロッコでは流行りません。
親しいつきあいを持つに至るまでに相手を非常に警戒するモロッコ社会では、「見た目で分かる意思表示」の方が、難解なメッセージよりも100倍重要なのです。
ですから、日本人女性が、カタコトの日本語を武器に、まともな仕事も持たず、ルーズな服装で、昼間からハシシを吸ってミュージシャンを気取っていたり、常にヘラヘラしてけじめのついていない自称ガイドにくっついてニコニコしている事は、もうそれだけで「だらしな」く、多くの場合、そんな男を気に入っている=バックグラウンドなんて気にしないイージーな人=真面目じゃなさそうだから簡単にベッドにも行っちゃうんだろう=分類として娼婦と似たようなレベル…なんていう具合に思われてしまったとしても不思議ではないのです。
人間は見た目じゃない。そう思う人も少なくない日本人ですし、外見というのはその人のスタイルで、それを見て好みを判断するのも日本では普通でしょう。
けれどもモロッコは、外見=世間体。そこに気を使う事のできない人は世間様、要するに自分の存在する地域社会の存在を無視した、あるいは既に見放されている異端者であることも少なくありません。
それでもかまわない、スタイルは人それぞれと思うのもまた結論でしょう。
ただ、相手がそういった考え方も普通である社会に飛び込んで来てくれるならまだしも、自分が飛び込もうというときに、それを全く無視することもできません。
最近の日本人女性はモロッコ人から「相手が地域社会でどんな扱いを受けている人なのか、どんな希望を持った人なのかといったような事さえ理解する前に結婚したりビジネスをはじめたりする」と、その無防備さを指摘されている今日この頃。
そのお株は元々純で一途でお金持ちなところが日本人と似ているスイス人女性だったそうなのですが、最近ではお手軽さから日本人がその位置を占め始めているんだよ、とモロッコ人。
そんなわけで現在日本人女性は世界の多くの国で思われているような「簡単」のレッテルを、モロッコでも貼られつつあります。
相手との将来を真剣に考えるなら。
あるいは真剣に考えようと思っているのなら、自分の想いとは別に、そういった現実があることもどこかに覚えておくといいでしょう。
相手がどんなに歯の浮くような台詞で告白してこようが、どんなに相手が自分の事を思い詰めているように見えようが、自分のペースを忘れずに。
相手の事をまだ理解していないと思ったら、理解できるまでおつきあいすればいいのです。
本当に愛し合っていたら、焦らなくてもきっと二人にとっての最高の結論を見つけ出していけるはず。
とにかく「結婚」という形を急ぐモロッコ人が多いですが、選んでいるのは人生のパートナー。
結婚、と言われても、まだ踏ん切りもつかないし、そこまでの事はまだ思っていないというのであれば、「まずはお友達としておつきあいしてから…」という台詞も十分ありなわけです。
決断するのは二人の人生でもありますが、なにより自分の人生でもあるわけです。
外国人が相手だと、相手のペースや文化に流されがち、かつ日本人の場合それを黙って受け入れがちですが、分からない事はわからない、もっと時間が欲しいならもっと時間が欲しいという事を伝えながら、二人のコミュニケーションを深めて行く事ができればいいですね。
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